オスカー・シンドラーの墓

雲一つない空、一切を乾き尽くす強烈な日差しが、旅行者の歩みを疲労させます。

ここはかの地イスラエル
あのダビデ王が、イエス・キリストが、ムハンマドが生きた街。世界史の教科書の中に足を踏み入れるような気分で、はるばるこの遠方の地までやって来た。しかし現実はそれほどロマンチックなものではなく、この地で目にするのはアラブ人とユダヤ人のお互いの敵意の目線。罵声。イスラエル兵が持つ機関銃。

あぁ、人生甘くないのね。

勉強不足の自分でも、この場所での生存競争がいかに辛辣かを肌で感じる。しかし、敵意や憎しみに満ちた場所であってもここが聖地であることに変わりはなく、人々はそれぞれの聖地を守り、祈り、教えを守って生活している。

一日一歩、三日で三歩。砂漠に近いこの場所は一歩歩くごとに身体のあらゆるところから水分が抜けて行く。
ぜーはー、ぜーはー、
あまりの熱さに頭がくらくらする。よりによってこんな所が聖地とは。

このエルサレムの旧市街の外れ、シオンの丘と呼ばれるところにあの有名なオスカー・シンドラーの墓があるという。ガイドブック片手にシオンの丘まで行ってみることにした。

シンドラーのリスト」という映画でとりあげられた彼。第二次世界大戦中、ドイツ人でありながら千人あまりのユダヤ人をナチスの手から守り、救い出したおっさんである。彼はなぜか故郷のドイツではなく、かの地イスラエルで永眠している。

何度も道に迷い、閉まっていた共同墓地の高い塀を乗り越え、たくさんの墓のなかを右往左往しながらようやく彼の墓を見つけた。それはとても平凡な、ありふれた小さな墓であった。


と、その瞬間、彼の墓を前にし、僕の目から急激に涙がこぼれ落ちた。仮にも千人ものユダヤ人を、いや人間を救った人間である。しかし僕の目の前にあるのはごくありふれた小さなお墓である。注意して探さなければ見落としてしまいそうなぐらいであった。墓の上に置かれたたくさんの石があったおかげで、かろうじで見つけられたにすぎない。

人は死ねばただの石になるんだ。

砂漠にほど近いイスラエルの地は、水も緑も圧倒的に少ない。死する者は、大地に還るというよりは、天地によって完全に灼き尽くされてしまうような場所である。ここでの死は、存在そのものの死に近い。たとえ人生で大きな仕事を成し遂げても、最後はイスラエルの強烈な日差しに灼かれるひとつの石ころになるに過ぎない。

燦々と照る太陽の下、僕はただ無償に悲しくなった。

人の一生とはこのようなものであるのか。


伝記を読むに、オスカーは人格高潔な人物ではなかったらしく、複数の愛人を持ち、高価なスーツを伊達に着こなし、賄賂でナチスの幹部にうまく取り入っては商売を広げていくぬかりない男であったという。

オスカーの元妻は彼のことを酒と女にだらしない俗物と呼び、決して諸手をあげて彼のことを誉めていません。ただ、彼女の言った次の言葉が私の胸に強く残っています。

「彼はたいした男ではありませんでした。しかし彼の周りには、彼の才能を引き出してくれる人間がいました。彼らのおかげで彼は持ち前の才能を活かし、あのような大きなことをなし得たのです」

人と人との繋がりこそが人生かもしれません。

後年、彼、オスカー・シンドラーはドイツとイスラエルを往復する日々を続けていました。それは彼の友人に会いに行くのが目的であったと思いますが、彼のことですからイスラエルにも何人か彼の愛人がいたのでしょう。

きっと満遍の笑みでこう叫んでいたはずです。

「ジェーン!帰ってきたよ!」