鷲は舞い降りた

鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)

鷲は舞い降りた (ハヤカワ文庫NV)


第二次世界大戦を舞台にした小説。ヒトラーの極秘任務を受けたドイツの空挺部隊がイギリスに潜入し、田舎で休暇を過ごす予定のチャーチル首相を誘拐するというあらすじ。話の主役となるドイツの空挺部隊には、エリート部隊ではなく、上官の命令にさからった罪で、生存率の少ない半死半生の任務に就かされていたクルト・シュタイナ中佐率いる空挺部隊が任命される。個人の意志とは無関係に、死地を選ばざるを得ないクルト・シュタイナの部下達。しかしそのような状況にあってもシュタイナ中佐の部下であることに誇りを持ち、任務をまっとうする彼らの生き様が描かれます。

希望する仕事に就けない、望むような収入を得られない。

現代を生きる我々にも、戦争の頃とはレベルは違いますが、自分一人ではどうにもならない現実があります。しかし現実は変えられなくとも、「どう生きるのか」「どのように自分の任務をまっとうするのか」という生き方は変えることができる、そのことをこの本を読んで感じました。話の節々に、どうがんばっても結果はどうにもならない、何も事態は変わらないという場面が出て来ても、彼らは「任務を全うする」ことを選びます。シュタイナ中佐の部下達はそうせざるを得ないことの不運を嘆くよりも、シュタイナ中佐の命令に従い、自身の使命をまっとうすることに生き甲斐を見い出します。

どうせ死ぬのなら、自分の尊敬し、信頼するリーダーの元で、自らの人生をまっとうしたい。

話の終盤、生き残った部下とシュタイナ中佐が離ればなれになる場面で、傷を負いながらも背筋を伸ばし彼の部下が中佐に向かってこう言います。
「あなたの部下であったことは無上の光栄です。」

戦争というどうにもならない現実の中であっても、お互いを信頼し、尊敬するリーダーの元で自分のベストを尽くしたい。結果なんてものは自分の力のずっとずっと先のものにすぎない。人によってはあきらめの美学、覚悟の美学のように受け取るかもしれません。そうではなく、人と人との信頼関係の中に、自分の役割を見いだしていく幸福を私は教えられた気がします。


私たちの時代の不幸は、お金がないことや、仕事がないことそのものではなく、頼りない人間関係の中で、お互いの信頼関係をほとんど築くことのできないまま、仕事や勉強などの日々の自分の役割を全うし続けなければいけないことではないでしょうか。