竜馬がゆく

新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)

新装版 竜馬がゆく (1) (文春文庫)

「降る雪や明治は遠くになりにけり」


ある時、日本からちょんまげ姿のお侍さんがいなくなった。
下に下にと、通りを練り歩くお殿様がいなくなった。

気づけば、洋服に身をつつんだ男達が明治政府なるものを立ち上げ、民主主義なるものを始めようとしていた。


フランス革命や、アメリカ独立革命という言葉はあっても日本独立革命という言葉はありません。この変革は「明治維新」と呼ばれます。

僕には疑問があった。どうして「革命」でなく、「維新」なのか。サムライ達はどこにいったのか。いや、その時代の変わり目に当時のサムライ達は一体何をしていたのか。


僕は一冊の本を手に取った。
竜馬がゆく
坂本竜馬土佐藩、今の高知県出身の郷士の物語である。これを読めば彼が一体何をなしとげたのか、そして今ではもう遠い出来事になってしまった明治維新なるものが見えてくるかもしれないという期待を込めて。



黒船の来襲以来、理由は千差万別ながら、時代の変化を敏感に感じ時代の波に命をかけたサムライ達がいました。

坂本竜馬
西郷隆盛
高杉晋作(辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」は個人的に好きです)

ここには書ききれない多くの男達が本書には出てきます。彼らのひとつひとつの行動や思い、情熱、そして無謀な行動さえもが明治維新へと至る大きな道筋へと連なっているのです。江戸時代がどのようにして終わったのか。そして今につながる新しい日本はどのようにして生まれたのか。それがこの本書でひとつずつ綴られていきます。

僕が想像した以上に時代は混沌とし、多くの血が流れ、志の中で倒れていきました。

そんな中で竜馬や西郷どんは何をなし、そしてどのように人生を終えたのか。その一遍の物語が全八巻に収められています。彼ら維新の立役者達は、おしなべて三十歳前後と若く、そんな彼らが時代を動かしたのです。彼らの感性、そして「今の時代を何とかし、新しいかたちをつくりあげなければ」という思いは、現代を生きる僕ら若者の感性と驚くほど共振するのです。

本書の山場で、竜馬が生死からがらの場面でこう言います。

「自分が生きるか死ぬかは天が決めることだ。」


全八巻にもおよぶ本書を読み進めていると、この言葉が現代を生きる今の自分に一筋の光をもって迫ってきます。

竜馬は、アメリカでは大統領が下女の給与にまで気にかけていると聞いて感動したそうです。そんな社会に日本もなるべきだと。当時の封建的な日本では考えられないことだったでしょう。私も小学校時代に日本国憲法の条文「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」を読んでひどく感銘を受けました。そのような社会が現在実現されていようがいまいが、人間はそこを目指すべきだと。

作者の司馬遼太郎は竜馬を評し、「田舎生まれの、学も身分もない、一片の志を持った若者」と書いています。田舎生まれの名もなき若者が民主的な社会というものに憧れ、この憧れは私達が理想的な社会を求めること何ら変わりないでしょう、幕末という時代に一片の志を埋め込みました。その志は、今自分の胸の中にある志のルーツだったのです。