食えないやつ

今日、冷蔵庫の奥で去年の夏から万年床のごとく六ヶ月間居候し続けていた葡萄を食べました。

見た目は、表面にうっすら白いカビが生えているほかは饐えた臭いもなく、思いの他いけそう。一粒を房から取り、皮をはいで、口の中へ。

口の中に広がる発酵による濃厚な甘み、そして熟成期間の短いワインのような仄かな香り。

「以外に美味しい!」


思えば、ワインも葡萄をそのまま放置し発酵させた飲み物。冷蔵庫のように一定した気温に置かれていたおかげで、良い方向に発酵が進んだようです。ブランデーも元はと言えば、腐ったワインから生まれたと云われています。
ブランデーの歴史


思い起こせば、冷蔵に三ヶ月間放置されていたヨーグルトを食べてみたら、思ったほど酸っぱくなく、食後の下痢もなかったこともありました。納豆は腐らないので長期間の保存が可能と、私の尊敬する発酵学が専門の小泉武夫先生もおっしゃっています。
発酵と人類の知恵
『発酵食品』の話


そもそも、微生物による食品の変化のうち、人間にとっても良いものを「発酵」と呼び、害のあるものを「腐敗」と呼んでいるだけの話。その変化は、大きく環境に依存するものでもあります。


さてさて、毎度の世相批判ですが、今の世の中、重宝されるのは、即座に仕事ができ、すぐに価値を生み出すことができる、即戦力と呼ばれる「食える人達」です。発酵に時間がかかり、発酵のための適切な環境を必要とする「食えない人達」は、今は価値がないとしてお払い箱とされてしまいます。

「人を育てる余裕のない世の中」
「人の成長が待てない世の中」
そんな世の中が味わい深くないのは当然のことでしょう。


フランス人はワインを女性に例えて、「ワインはそのままほっておくと酢になるが、丁寧に取り扱うことで、時を経て味わい深い美酒となる」と含蓄のあることを言っています。

願わくば、腐ったワインが良きブランデーに生まれ変わるような、変化を許容し、その訪れをじっくりと待つような、変化への可能性に賭ける時代であって欲しいものです。